おぼえがき
一麹・二櫂・三火入れ(その二)
2018-07-18
浸漬して蒸し上げた大豆と炒って割砕した小麦を両味混合したところへ種菌をふりかけます。これらが混然一体となって室の中へ敷き詰められ、湿度100%という高温多湿の環境下で品温を30度前後に保つこと二昼夜、菌が順調に生育して醤油麹が誕生します。
醤油麹の出来不出来はその後修正できませんので最終製品の味に決定的に影響します。そのため第一の肝として「一麹」と言われるのです。この醤油麹を塩水と混合して発酵タンクへ送ります。
さてここで登場した「大豆」「小麦」「塩水」の割合は全国一律ではありません。それぞれの風土と地産地消が育んだ嗜好により様々であったと思われます。現在ではその八割が大豆と小麦を等量に、仕上がりの塩分は17%の「濃口醤油」となっています。うまくちと言われる大野醤油も基本は同様です。
Aあまえび・Kかに・Bぶりによく合います。
一麹・二櫂・三火入れ(その一)
2018-07-13
醤油の原材料の表示に表れないものが二つあります。一つは水で軟水か硬水かによって口当たりが変わってきます。もう一つは正確には加工助剤である種菌です。この菌が大豆や小麦に入り込んで醤油麹が造られます。良い醤油が出来るかどうかは第一にこの時に係わってきます。
醤油造りの種菌は大きく二系統に分かれており、コク・キレ・カオリをどう仕上げたいかで選択が変わります。大野醤油は甘みを感じるコク仕立てと言えるでしょうか。しかもこの種菌は自家培養の優れものなのです。
協業工場でも設立当初は種菌の培養は大変な労力と時間を費やす一方で、なかなか純粋でしかも均質なものが得にくく悩みの種であったようです。そんな悩みを一挙に解決する装置を開発したのがほかでもない協業工場の工場長だったのです。特許を取得したその装置は世界中で活躍しています。「大野醤油」の原料(その四)
2018-07-12
醤油の原材料として意外と知られていないものに米があります。全国でも一部産地の淡口醤油に限定されていますので、ラベルの表記でもほとんど見られることはありません。
本醸造淡口醤油は塩分が少し高めになりますので、口当たりを和らげるため、仕上げに甘酒を加えることがあるようです。米そのものを醤油麹にするわけではありません。
では大野醤油に米を使った醤油はあるのでしょうか。時代を遡ると一時期ありました。
それは醤油諸味に米麹を追加投入して発酵させたもので、味噌の産地でもあったがゆえに発想された当地独特の甘口醤油のことです。
ちょうど味醂と醤油が合体したような味わいといえばいいでしょうか。想像するに、当時は醸造も保管も木桶でしたから水分が蒸発すると塩分がどんどん上がり辛口になってゆくのを防ぐ意味もあったのではないでしょうか。
復刻して今の名は「大野紫」と言います。「大野醬油」の原料(その三)
2018-07-12
四方を海に囲まれた日本列島。海なし県もあるけれど、海水は割と身近に感じられます。
塩は自給自足出来ていると思いがちですが日本では食用塩の自給がやっとの状態で、工業用塩はすべて輸入に頼らざるを得ません。
世界的には岩塩あるいは天日塩が無限と言えるほど生産されています。
協業工場でも初期には岩塩を使ってみたようですが、扱いづらさから海水塩に切り替わっています。原料原産地は赤穂が主体です。
市販の食塩より精製度は少々低いもののミネラル分はほとんど含んでいません。醸造・発酵に食塩が果たす役割は欠かせないものですが、現状の海水塩では風味風合いの仕上がり面で若干及ばないところがあるようです。
石川県能登町小木に海洋深層水施設があります。こちらからその原水を分けてもらってほんの一部ですけれど、地元産にこだわった醤油を仕込んでいます。豊かにふくらみます。
「大野醬油」の原料(その二)
2018-07-12
醤油の原料と聞いて小麦を答えられる人は割と少ないです。ただ江戸時代には大麦であったようで、色・香りを整えてゆくうちに小麦が主流になっていったのでしょうか。現在の規定では大麦を原料として醤油を名乗ることは出来ません。第一の原料が小麦である淡口醤油は淡色で華やかな香りが特徴です。
昆布だしが利いた透き通ったうどん汁に、そして今では全国区の金沢おでんにも欠かせないこの醤油ですが、大野醤油産地において本格的な淡口醤油の生産が始まるのは昭和の後期、協業工場の誕生を待ってのことでした。
小麦自体の原料原産地は北米産で濃口醤油と変わりませんが、加工形態は全く異なっています。醤油の濃色化を抑制する方法としては、第一に大豆の割合を減らすことがあげられますが、小麦については麦炒りをしないことがそれ以上に効果的です。小麦粉を固めて粒状にしたものを使います。