大野醤油とは

■大野醤油はいつ生まれたのか?

前田家系図
今日現在まで、金沢の海の玄関として繁栄してきた醤油の町「大野」に醤油作りが始まったのは約400年前になる。この誕生に大きな力を与えてくれたのは、百万石大名、前田家である。前田家三代目藩主、前田利常が加賀を治めた元和年間(1615~1624年)に、大野の町人、直江屋伊兵衛が藩主利常の命を奉じ、醤油醸造法を学び伝えたと言われている。後に前田家は参勤交代を利用し、東海道五十三次の宿場に大野醤油を宣伝したとも言われている。
このことから大野醤油は前田家の強力な支援を経て発展していき、現在では、加賀料理は勿論の事、全国に大野醤油の名が広まるほどに成長してきた。

直江屋伊兵衛はどこで醤油醸造を学んだのか?
直江屋伊兵衛はどこで醤油醸造を学んだのか?
 
直江屋伊兵衛が醤油醸造を学んだ地域の学説は幾つかある。
醤油発祥の地、紀州湯浅で学んだ説、逆に湯浅から技術者を招聘した説、野田、銚子で学んだ説などがあるが、紀州湯浅から学んだと推測される。
というのも、現在存在している大野醤油の味は、関東の辛口とは異なり、九州ほどではないが甘口である。色はあまり濃くなく、やや淡い色であり、どちらかと言うと関西の淡口醤油よりである。よって、これらの特徴から紀州湯浅にて醸造技術を習ったと考えられる。

■大野醤油の特徴

大野醤油味マップ
大野という場所は昔から醤油を醸造するのに最適な地域といえる。白山水系の水が豊富に出て、雨の多い湿潤な気候が醤油の発酵における麹菌の育成にさらに効果的であると言える。また、大野を中心に現在も北陸地方の醤油は、甘みのある醤油が中心である。
甘口醤油は九州地方でも有名であるが、大野の甘口醤油(うまくち醤油)は加賀料理の歴史からも、味のコクは勿論のこと、素材そのものの色を壊さず、うまく引き立たせる綺麗な色をしている。
まとめていうと、大野醤油の特徴は程好い甘さをもち、色も濃口醤油の中でも比較的に淡いことから、麺類や煮物、かけ醤油として使っても、決して自己主張しすぎず、素材そのものの味、香り、色を引き立たせる、縁の下の力持ち的存在といえる。

■五大名産地の一つ

醤油の五大名産地は、野田・銚子・龍野・小豆島・大野(金沢)

石川県産醤油は、醤油の五大名産地の中で独自の発展を遂げ、今日に至りました。加賀料理に代表される豊かな食文化の中で、江戸時代から糖類を加えた“甘口醤油”が地元で賞味されてきました。現代ではそれに“旨味”を加えた「うまくち醤油」が、その使いやすさのため定着しています。
五大名産地
金沢市大野町は「ヤマト醤油」と「直源醤油」を筆頭に18社の醤油メーカーが集まる醤油の産地。最盛期は60軒以上の醤油醸造業者があり、五大産地と言われたほど。色が比較的淡い甘口の醤油が地元の人から好まれ、加賀料理に欠かせない。大野で醤油作りが始まったのは約400年前。金沢の海の玄関として繁栄してきた大野で、百万石大名だった前田家が直江屋伊兵衛に命じて醤油醸造を始め、後に前田家は参勤交代を利用して東海道五十三次の宿場に大野醤油を宣伝したと言われている。

各地のしょうゆの特徴

醤油は各産地によって味が違います。石川県産うまくち醤油は、加賀百万石の食文化と共に発展してきた醤油で、程良い甘さとまろやかさを持ち合わせています。その絶妙な味わいは、料理の味を整え、素材の持ち味を引き立たせます。
各地の醤油の特徴
金沢城五十間長屋
金沢城五十間長屋

加賀藩の特産物の一つ

加賀の醤油の歴史は、元和年間(1615~1623年)に金沢の西、大野の住人直江屋伊兵衛が前田藩主の命によって紀州湯浅の醸造法を学び、これを導入して醤油の醸造を行ったことに始まります。以来、藩の保護と優良な自然条件のもとに大野は醤油産地として発展し、「大野醤油」は、加賀藩の特産物の一つとなってきました。
加賀百万石の城下町金沢という大消費地を持つこと、日本海沿岸の要港として古くから開発されていた大野港の機能、さらに醸造に適した湿潤な気候と白山から豊富に流れてくる伏流水に恵まれたことによって大野は加賀藩の醤油醸造の主産地となったのです。江戸時代の金沢は全国でも屈指の大都市であり、しかも文治政治を旨とする加賀藩の治政下において消費文化が隆盛でした。大消費都市の醤油の需要は集積地大野以外にも金沢、加賀、能登にも独自の醤油製造者を発生せしめたのです。
大野醤油醸造協業組合
石川県金沢市大野町4丁目甲18-6
TEL.076-268-1301
FAX.076-268-1302